お葬式では聞きなれない言葉をよく耳にします。
葬儀用語を五十音順でまとめていますので、ぜひご利用ください。
四華花とは、葬儀において棺のそばに飾る装具のひとつとなります。紙で作成する場合もあり、紙華花と呼称する場合もあります。仏教において、四華花は死者が成仏するために必要になると考えられています。白紙を竹串に巻きつけて、横に細かくハサミなどで切り込みを入れたものとなり、
かつては四本、木の台や大根の輪切りに突き立てて近親者が持って葬列に加わる形が取られていました。四華花には、故人に対する悲しみが込められています。四華花のいわれとしては、お釈迦様が亡くなられた際の出来事と密接に関係していると言われています。
故事に4本の沙羅双樹が深く悲しんで、悲しみのあまり白く色を変えてお釈迦様を覆ったと書かれているのです。これにより、葬儀において故人への悲しみを表現する目的で使用されるようになったのです。また、故人が入るお棺の角にそれぞれ4本ずつ飾ったことが由来となっているという説もあります。
四華花は葬儀社などに用意してもらう形が一般的であり、単体ではなくセット販売されています。サイズも千差万別ですが、基本的には60cm程度のサイズのものを選択するとよいでしょう。
式年祭とは、決められた期間毎に執りおこなわれる祭祀のことを指します。神社の祭礼や祖先祭祀で見られる祭祀形態となります。由緒ある神社の一部においては、定められた年ごとに行われる祭祀が存在します。
神社では、一定の年ごとに社殿の建て直しをする式年遷宮をおこなうケースがありますが、社殿の建て直し自体が祭祀の一環だという見方もできます。最も有名なのが伊勢神宮式年遷宮であり、20年ごとに全ての社殿を建て直して大規模な祭礼を執りおこないます。
式年祭として有名なものとしては、以下があります。
祖先祭祀でも、決められた年ごとに祭祀を執りおこなうケースが多いです。一般的に、仏教行事として行われる年忌としては以下があります。
あくまでも等間隔ではなく、通常の祭祀とは違った特別な祭祀が執りおこなわれることが多いです。仏教における年忌法要は、キリスト教における記念の集いや追悼ミサに該当し、故人を偲ぶ機会として行われる儀式となっています。
樒とは、マツブサ科シキミ属に分類される常緑性小高木から高木の1種となります。葉は枝先に集まって付く特徴があり、春に枝先に多数の黄白色の花被片を持つ花をつけるのが特徴であり、本州から沖縄諸島および済州島に分布しています。
樒にはアニサチンなどの毒が含まれており、特に猛毒である果実は中華料理で多用される八角に似ていることもあり、誤食されやすいので注意が必要です。なお、樒は以下のような呼称をされている場合もあります。
樒は、鑑真が中国から日本に持ち込み、古くから仏教と関連があった植物となります。鑑真は5度の失敗にもめげずに船で唐へ出向き、6度目にして成功して日本に仏教を広く伝えた人物として有名です。このエピソードもあり、鑑真が持ち込んだ樒は仏教を象徴する植物になっているのです。
この他、真言宗の開祖である空海にも樒とのエピソードがあり、唐で密教の修行を行っていた空海が修行で使う青蓮華を必要としたかったものの、手に入れられなかったため樒を使って修行したと言い伝えられています。
樒は、仏事や神事に用いられており、寺院や墓地に植栽されている。また材や抹香、線香として利用されること多いです。
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四十九日とは、故人の命日から数えて49日目、または49日目までの期間を指す言葉です。人が亡くなられた49日後には、極楽浄土へ向かうという考えがあり、四十九日が1つの区切りとされています。四十九日までの間に、7日毎に生前の行いを裁かれて、49日目に最後の判決を受けて極楽浄土に行くかどうかが決まるのです。
なお、個人が生まれ変わる世界としては、以下の6つのどれかと言われており、これを六道輪廻と呼びます。
残された遺族としては、故人が極楽浄土に無事たどり着けるように、7日毎にお祈りをして善行を執りおこないます。最後の審判が下る49日目は、特に重要な日となるため盛大に四十九日法要を執りおこなって供養することになります。かつては、7日ごとに法要を執りおこなうことが一般的でしたが、現在では初七日と35日に当たる五七日、49日に該当する七七日(なななのか)に執りおこなうのが一般的です。
四十九日は、満中陰とも呼ばれることがありますが、これは古代インドの輪廻転生に基づく考えによるものです。臨終から次の生を得る間の期間を中陰と呼びますが、その期間は49日間であるとされているためです。
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七七日忌は、四十九日法要と呼ばれることもある、故人が亡くなって四十九日に執りおこなわれる法要のことです。仏教において、命日を起点として七日ごとの日を忌日と呼ばれています。忌日とは、故人が亡くなった日のことを指し、命日と同じ意味となり仏教では7日ごとに命日を迎えるのです。
中陰法要と呼ばれる、四十九日を迎える前までの期間となる、中陰の時期に執りおこなう法要があります。中陰は、故人の御霊があの世とこの世を彷徨った時期と言われており、7日毎に訪れる審判を受けることによって、故人が極楽浄土に行くかどうかが決まるのです。
この審判の日を忌日と呼び、その期間に遺族が執りおこなうのが中陰法要となります。故人が生前悪いことをしていた場合でも、遺族が供養することで極楽浄土へ行ける可能性が高まるのです。遺族は四十九日を迎えるまでの間、年忌法要で合計7回の供養をおこない、故人が極楽浄土へ行けるよう祈るのです。
7日ごとの審判の日に執りおこなう法要は、7回目となる七七日で1つの区切りを迎えます。四十九日を迎えると満中陰となって、この日を以て忌明けとなるのです。忌明けになれば白木の位牌を本位牌に変えるために開眼供養を執りおこない、魂を移します。
また、法要を執りおこなった後に四十九日の挨拶と共に忌明けの食事会を開催する形となります。四十九日法要は忌日当日に執りおこなうのが理想となりますが、実際に参列者の都合もあるため週末に行うことが多いです。もし法要の日をずらす場合、忌日より早めに執りおこなうのであれば、何曜日でも良いとされています。
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死装束とは、広義で言えば亡くなられた方に着せる装束のことを指します。世界に存在しますが、時代や歴史、文化、宗教などによって微妙に死装束に対する考え方が異なります。聖骸布が有名なキリスト教圏の埋葬布を代表として、装束でなく布を纏わせるケースがあり、この場合は死装束とは呼称しません。
ただし、葬儀の際に死者に着せるフューネラルドレスについては、欧米文化における死に装束の一種と言えます。仏教における死者に着せる浄衣である経帷子、寿衣についても、死装束の一種となります。
日本において、切腹する際の装束についても死装束と呼び、日本において伝統的な死装束は白色が多いことから、切腹する時に死装束は白装束を用いられていました。過去は、武士が切腹する際のイメージと白装束のイメージが合致してしまうため、白装束を死装束の別称と誤解する流れも見られました。
しかし、実際には荘子の碧血の故事にちなんだ浅葱色が正式なものであり、新選組は浅葱色の羽織を身につけていたとされています。ただし、白装束には白い衣装という大きな意味と、白ずくめの衣装という語義など衣装全般の意味があるのみとなります。
日本古来の神道、及び中世から日本に伝来した仏教では、人は亡くなられるとあの世に行くという考え方があって、死装束は旅の姿という形となります。ただし、死出の旅路に出るという考え方がない宗教宗派もあって、最後を迎えるにふさわしい装いとして死装束が施されるケースも多いです。
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死に水とは、人が臨終を迎える際、またはこと切れた際に茶碗に入れた水を新しい筆やガーゼに浸して唇を拭く行為のことです。死に水は末期の水とも呼ばれることが多いです。なぜ死に水をおこなうのかと言えば、現在社会のように医療が発達していなかった時代に、故人が亡くなれたかどうかを判断する目的でおこなわれていたといわれています。
喉仏より水が通る音がしなくなったら亡くなられたと判断し、逆に喉仏から音が出て水が通ったことが確認できれば生きていると判断されていたのです。ほかにも、旅立った後に乾きや飢えで苦しむことなく気持ちよくあの世へ到着してほしいという遺族の思いを叶えるためにおこなわれているという説もあります。
近年は、実際に故人の口に水を持っていく形ではなく、水を注いだコップを側に置く形で儀式を簡略化するケースも多いです。死に水を取る順序としては、肉親から近親者へと関係性が濃い方から順番におこないます。死者への惜別の行為となる関係上、過去は死者だけではなく枕元に集まった近親者についても水を分かち合ったと言われています。
死に水は仏教儀式となりますが、死に水をしない宗派があります。代表的なのが浄土真宗であり、魂という考えが存在せず息を引き取った時点で成仏できると考えられています。よって、あの世で旅することなく浄土へたどり着けるため、死に水などの旅立ちに関わる準備をする必要はないと考えられています。
さらに、極楽浄土は仏様が住む場所であり、食べ物や飲み物が豊富に存在することから、故人が成仏した後も喉の渇きに困ることがないと考えられているのです。
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忍手とは、神道における葬儀の際に執りおこなわれる拍手の一種となります。拝礼の際の二礼二拍手一礼をおこなう際に、音をたてずに拍手を打つことを指します。玉串奉奠する際に、祭壇に向かって二礼、二拍手、一礼する際だけでなく、お墓や神棚に対しても同じです。
忍手で対応する期間は逝去後50日の忌明けまでとなり、これ以降は音を出す拍手に切り替わります。イメージとしては仏教における合掌にあたる動作に近いものとなります。なお、柏手で音を出すことは神様に対しての行為であり、故人の霊には音を立てないという考えのもとで忍手がおこなわれます。
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死亡診断書とは、人間が志望したことを医学的、法律的な観点で証明する書類のことです。亡くなられた人を診療した医師が、死亡に至るまでの過程を記載できる限り詳細に記入する書類となります。もし、死亡診断書が発行されない場合、亡くなられた方は法的には生存すると見なされます。
よって、火葬や埋葬をすることができず課税や年金の支給も継続する形となります。なお、死亡診断書と似たものとして死体検案書があり、死亡診断書を記入するための用紙と死体検案書と使い分けが可能です。医師は、自分が診療した患者が生前に診療した際の病気や怪我に関連して亡くなったと認めるケースでは死亡診断書を、それ以外の場合に死体検案書を交付する形が取られます。
死亡診断書の中では、以下の内容が記入されます。
死亡診断書は、死亡届と同じ用紙に記入され、医師から死亡診断書を受領した後に死亡届の欄に必要事項を記入して認印を押印して市町村役場に提出してください。なお、死亡届の届出人となることができるのは、以下の方です。
死亡の事実を知った日から7日以内に提出する必要があり、早急に対応しなければなりません。
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死亡届は、正式名称が死亡届書と呼ばれており、人が亡くなられた際に戸籍法の規定に従いおこなわれる届け出、またその書類のことを指します。死亡届の場合、自分自身で提出できない特徴があります。届けが受理された段階で住民票に死亡が記載されて、本人の死亡の証明をする際の簡便な公的証明として利用可能です。
死亡届の手続き根拠としては、戸籍法第86条、第87条に規定されています。死亡者の戸籍を抹消する届出書類の中で、主に死亡者の本籍地や死亡地、届出人の現住所地の順位で当該する市町村長や特別区長へ提出する必要があります。死亡届には提出期限が定められており、届出者が死亡の事実を知った日から7日以内となります。
また、届出用紙自体は市区町村役場や病院などに備えられており、用紙サイズはA3横使いとなっています。左側が死亡届、右側が死亡を診断した医師や歯科医師が記入する死亡診断書との併用形式が大半です。届け出する内容はとしては、以下となります。
届出人の条件にも条件があり、以下の優先順位となります。
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社葬とは、企業が主体となる形で執りおこなう葬儀のことを指します。取引先や株主などが参列することになるため、規模の大きな葬儀になるケースが多いです。なお、公正取引委員会によって定められた、社葬の暫定的な定義は、以下のとおりです。
企業の創業者や会長、社長、そして社業に多大な功績を残した故人を対象として、顕彰の意味を込めて当該企業が主体となって執りおこなう葬儀。社葬に先んじて、遺族や親族による密葬が行われることが一般的。
遺族としては、事前に個別で密葬を執りおこなって、故人との別れの時間を設けるのが一般的です。遺族と企業がひとつの葬儀を執りおこなう葬儀のことを合同葬と呼び、葬儀費用は企業側が負担して損金算入できるため、企業側にメリットがあるのです。
また、従業員が葬儀の準備を進めることになり、従業員間の結束を強化できる効果があり、事業承継を周囲に知らせるという意味合いもあります。なお、社葬は以下の方が対象として執りおこなわれることが多いです。
社葬の場合、多くの従業員や企業関係者が参列することになり、数千人規模にケースもあります。よって、予測される人数次第では規模の大きな社葬会場を手配しなければなりません。会社負担金については、税務上は社葬費用として損金処理可能ですが、その要件として社葬の施行を決議した取締役会の議事録、及び社葬費用の基準を記した社葬取扱規程が必要です。
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回忌とは、年忌法要を執りおこなう日のことを指します。仏式の供養において故人を偲ぶうえで、重要な意味を持つことになります。年忌法要とは、故人が亡くなった同じ月・日である祥月命日に執りおこなう供養となります。
通常は、親族が集結して僧侶による読経やお墓参りなどによって、故人を偲ぶのが一般的です。三回忌や七回忌といった、決まった年数により開催するのが一般的です。年忌法要の規模や、持つ意味合いについてはお住まいの地方や家庭の方針、そして寺院側の考えによっても異なります。
例えば、七回忌を一つの区切りとして以降は規模を小さくるケースもあれば、三十三回忌の弔い上げまでの間は各年忌法要を欠かさず実施するケースもあります。祥月命日は故人が亡くなった月日を指しますが、年忌法要は基本的に祥月命日に執りおこなうのが一般的です。
ただし、平日や長期休み開けなど参列者の参加が厳しい場合は、別の日に執りおこなっても問題はありません。ただし、原則としてその日より前に執りおこなうのが一般的です。七回忌以降は、他の方と合同で法要を行う場合がありますが、その場合の日程は祥月命日が早い方に合わせて、式の順番は亡くなってから年数の浅いほうからスターとするのが通例です。
回忌を開く際に、何回忌であるかの自信がない場合は、「回忌-1」の式で計算すれば確認できます。
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宗教不問とは、宗教自由とも呼ばれており、主に霊園において宗教について制限がまったくない状況を指します。宗教不問であれば、仏教や神道、キリスト教だけでなく、そのほかの宗教や無宗教の人でも使用することが可能です。
なお、すべての公営霊園では信教の自由の原則によって、宗教自由となっているため安心して利用できます。また、民営霊園においても大半は宗教自由となっているため、広い選択肢があります。
ただし、一部の民営墓地や寺院墓地では、宗教による条件が存在するため、宗教不問と記載されていない限りは基本的に他の宗教の人がお墓を建てられません。最近は、宗教不問とした墓地や霊園が増加している状況です。
なお、宗教不問と似た言葉として、以下があります。
過去の宗派は不問という場合もあり、これまでどの宗教は問わないものの、墓地や納骨施設の使用権を購入した後にお寺の宗派に従う必要がある場合もあります。
宗旨とは、各宗教が信じている教えのことを指します。また、その宗派のことを指す場合も多いです。間違って使用されるケースが多いですが、宗旨の正しい意味としては各宗派の教えのことを指すため、注意が必要です。
これまで信じていた宗教を変更することを、宗旨を変えると表現します。また、仕事を辞めて別の方面へ進むことも宗旨を替えると表現するケースもあります。信仰する宗派が異なる場合や、職業や考え方が全く異なるケースでは宗旨が異なると言うことも多いです。
宗旨は、大きく以下3つに分類されます。
神道は、日本土着の宗教であり、日本の民俗的な宗教となる存在です。仏教のような開祖や教え、教典は特にありません。日本の神話に登場する女神である天照大神などを筆頭に、国家的や民族的な基礎を持つ神々をお祀りすると考えられています。
キリスト教では、カトリックやプロテスタントなどの宗派が存在します。仏教の宗旨や宗派は、一般的に十三宗五十六派と呼ばれ、宗旨が13宗、その中での分派が全部で56派あるとされています。自分がどの宗旨であるかについては、仏壇や位牌があれば、ご本尊の種類や戒名から判別できる場合があります。
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収蔵とは、ものを中に入れて納めておくことを意味します。ここで言うものとは、収穫した農作物やその他のものを指します。お墓における収蔵とは、お墓を入手して完成するまでの間で、遺骨などを収納しておくことを指します。
遺骨を預かる施設のことは、収蔵施設や納骨堂と言います。納骨堂では、使用期間が決まっていることから、期限切れになる前にお墓を見つけて作成しなければなりません。もし見つからない場合、納骨堂の使用を1年更新でいる場合がありますが、最長で預け入れられる期間は決まっているのです。
もし、収蔵施設を使用する場合は、施設を管理している霊園へ連絡して収蔵したい旨を伝えてください。その後、窓口に出向いて申請手続きをおこないます。申請後には審査を受ける必要があり、施設によっては区域内に住んでいることが条件になる場合もあるのです。
また、遺骨の親族であることも重要となります。もし、審査に通過すれば収蔵施設を利用できる権利を獲得できます。施設の使用権を得たら、支払い手続きして使用許可証を受けてください。許可証を得られれば、その日から遺骨を預けることが可能です。
出棺は、葬儀や告別式において、最後に執りおこなう儀式です。故人の棺を火葬場に送り出す儀式のことです。葬儀・告別式が終了して、故人の棺を祭壇から移動して遺族や参列者とのお別れの時間を過ごします。その後、棺は遺族や故人と特に深い関係があった参列者に見送られる形で霊柩車に乗棺して、火葬場に向かいます。
近しい遺族は、棺と一緒に火葬場へ移動しますが、一般の参列者と火葬場に同行しない親族の場合は、出棺が故人との最期のお別れのタイミングとなります。火葬場へ到着した後、同行した遺族は棺の窓ごしから故人との最後の対面をおこない、そのあと遺体は荼毘に付され火葬されます。
また、この一連の流れの中で、祭壇に飾っていた花を切って棺の中に入れる別れ花をおこない、故人が愛用していたものや枕団子、枕飯を収納します。そして、くぎ打ちと呼ばれる、故人と関係の深かった遺族より順番に柩の頭にあたる部分を打ちます。
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須弥壇とは、仏教寺院において本尊を安置する場所のことを指します。具体的には、仏像などを安置するために一段高く設けられた場所を須弥壇と呼びます。須弥壇という名称は、須弥山に由来するといわれています。
須弥壇の上は仏の領域とされており、壇上に直接諸仏を安置するケースと厨子や宮殿を置いて、その中に仏像などを安置するケースがあります。須弥壇には、主に以下の種類が存在します。
須弥壇の中には、床に直接置く背丈の高いタイプと、上置式の背丈の低いタイプがあります。数としては前者が圧倒的に多く、後者の場合は日蓮正宗以外ではほぼ使用されていません。元来、仏壇といえば須弥壇のことを指しましたが、中世になると寺院仏堂の仏壇を須弥壇と呼ぶようになりました。
また、住居で仏を祀る厨子のことを仏壇と呼ぶようになったのです。現代においても、仏壇内の仏を祀る壇については須弥壇と呼ばれています。平泉の中尊寺金色堂では、3台の須弥壇が存在しており、その下には藤原清衡氏と基衡氏、秀衡氏の棺、そして四代泰衡氏の首を納めた首桶が安置されていると言われています。
承継とは、抽象度が高くて精神的で形のないものを引き継ぐという意味がある言葉です。例えば、物理的にものを渡して引き継ぐ場合には該当しませんが、以下のようなものが継承に該当します。
承継自体は、法律用語として使用される言葉であり、資産継承という形で使用されることがあります。資産承継とは、親や祖父母の世代が保有している資産を、子どもや孫などに渡す行為を指します。なお、移転方法は贈与か相続、または両方を組み合わせるケースがあるのです。
資産継承する場合、相続人同士が争いに発展することなく平等な相続ができるか、相続税は払えるのかという点を懸念する場合が多いです。そこで、以下のような対策を実施することが望まれます。
また、資産承継のための信託としては、以下があります。
焼香とは、仏教において香を焚くことを指す言葉です。特に、仏や死者に対して香を焚いて拝むことを焼香と言い、焚香とも呼びます。また、塗香に対する言葉という意味でも焼香が用いられます。
焼香には大きく2つのスタイルがあり、線香で行うケースと抹香で行うケースが存在します。線香焼香とは、日常のお参り時に執りおこなわれることが多い方法で、一般的には線香を上げると表現されます。抹香焼香とは、細かくした香となる抹香を指でつまんで、香炉にパラパラと落として焚く形となります。
抹香焼香は、通夜や葬儀、法要などで執りおこなわれることが多く、抹香焼香が焼香を指す場合が多いです。焼香によって、心と身体の穢れを除去して清浄な心でお参りする際の作法となります。焼香時には、左手に数珠を掛けて右手で焼香をするのが一般的です。
また、親指と人指し指、中指の三つの指で香をつまむのがスタンダードですが、細かい作法は宗派により違います。焼香には、主に以下のような種類があります。
また、宗派によって焼香の回数が以下のように異なります。
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焼香順位とは、焼香を執りおこなう際にどの順番で焼香するのかのことです。焼香の順位を決める際には、血縁の濃い順からおこなう形が一般的です。例えば、世帯主が亡くなったケースでは、以下の順番で焼香をおこないます。
なお、夫婦は同時に焼香するのが一般的ですが、もし喪主が長男の場合は以下の順番となります。
また、一緒に住んでいる孫については、故人の子供と同時に焼香する形を取るのが一般的です。
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精進落としとは、以下のような行事を執りおこなった後に開催する、料理を振る舞って宗教者や参列者をもてなすことを指します。
四十九日の忌明けまでの間は、精進料理と呼ばれる肉・酒の摂取を控えた食事をとる形が一般的です。また、異性との交わりを遠慮することになりますが、忌明けを迎えて通常の食事に戻すことも精進落としと呼ぶのです。精進落としは、以下の名称で呼ばれることも多いです。
かつての伊勢巡礼においては、お蔭参りで伊勢まで向かう道中において、身を謹んでいた巡礼者が外宮や内宮の参拝した後に、精進落としを目的として遊廓に繰り出していたため、古市という大きな遊郭が栄えたと言われています。
現代における精進落としとしては、初七日法要の後に僧侶や世話役などの労をねぎらう形で開催される宴席において、食事が行われるケースが多く、これを精進落としと称しています。葬儀式場と火葬場が併殺されている施設、火葬場に隣接した葬儀式場では、火葬が終わるのを待つ間に精進落としをおこなうケースもあるのです。
なお、精進落としと似ているものとして通夜振る舞いがありますが、どちらも参列者をもてなすという目的でおこなわれますが、精進落としの方がより一人一人を丁寧にもてなすという違いがあります。
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初七日とは、故人が亡くなって7日目を指す言葉です。仏教において、故人が亡くなられてから49日目には、仏様のいる極楽浄土に向かうと考えられています。四十九日までの間、7日毎に閻魔さまの裁きを受けて、49日目に極楽浄土にたどり着けるかどうかの最後審判が下されるのです。
四十九日までの間は、亡くなられた方の霊は行き先が決まっておらず、彷徨っていると言われています。遺族は、7日毎の裁きの日に合わせて法要を執りおこない、故人の霊が無事成仏できるように祈るのです。初七日法要は、一般的には亡くなられた日から数えて七日目に執りおこないますが、地域によっては亡くなる前日から数えて七日目とするケースもあります。
また、現代では葬式の当日に一緒に執りおこなう繰り上げ法要や繰り込み法要が増加しています。初七日は、通常の葬儀と同様に返礼品を用意するのが一般的であり、表書きには「粗供養」「志」と記して、黒白か銀色の結び切りの水引を使用して施主の名前を入れてください。
初七日でも僧侶にお布施を準備する形となりますが、相場は決まっておりません。ただし、もし葬式と同時に初七日を執りおこなうケースでは、葬式とは別に初七日のお布施を準備するようにしましょう。
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白木位牌とは、葬儀の際に祭壇に安置するための仮の位牌のことを指します。葬儀後は、四十九日まで後飾りの祭壇に祀られます。四十九日を迎えると、故人の魂が成仏して白木位牌から本位牌に移ると考えられています。
白木位牌は、忌明けの後で納骨の際に菩提寺へ納められます。よって、本位牌を購入する場合は四十九日までに用意しなければなりません。白木位牌は、忌明けまでの間は故人の行く先が決まっていないという仏教における考え方より、仮の位牌として使用されているのです。
位牌の表には戒名、裏には俗名を記載する形がとられます。なお、浄土真宗などにおいては、位牌自体を使用しないで法名軸や過去帳に法名を記入する場合があります。
白木祭壇とは、日本において葬儀の場で伝統的に用いられてきた祭壇のことを指します。白木で組まれた祭壇である白木祭壇は、とても格式が高く荘厳なイメージがあります。白木祭壇には、大きく以下2つに分類されます。
段とは、元々は小さな机の上に仏具や花を供えたものとなっていました。台が時代の変化とともに段数を重ねていき、最上部に輿をのせたものが祭壇の原型となります。輿とは、昔の葬儀において棺を納めていた屋形や籠のことを指します。
下部には2本の長柄が敷かれており、肩に担いで移動していたのです。現代社会においては、葬儀の後で移動することを考慮し、棺は祭壇の前に置かれる形が一般的となっています。よって、時代が流れて輿は飾り物という考え方が定着しているのです。
白木祭壇は仏式の葬儀で用いられる一方で、仏教以外の宗教においてはほぼ使用されることはありません。白木祭壇は、非常に多くのバリエーションがあり価格帯もまちまちです。20万円程度で用意できる場合もあれば、500万円以上する高価なものも存在します。
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真言宗とは、空海によって9世紀初頭に開かれた、大乗仏教の宗派となり日本仏教のひとつです。空海が長安に渡って、青龍寺で恵果から学んだ中国密教がベースとなっています。空海は「秘密曼荼羅十住心論」や「秘蔵宝鑰」において、当時伝来していた仏教各派の教学に対して評価しつつも、密教を最上位に置いて十段階の思想体系の中に取り入れたのです。
最終的に、顕教と比較して密教の優位性や顕教の思想、経典も、真言密教に包摂されることを説きました。天台密教を台密と呼ぶのに対して、真言密教は東寺がベースとなるため東密と称されています。 真言宗は、教王護国寺を総本山としています。
真言宗は、即身成仏と密厳国土をその教義としており、中心とする本尊は宇宙の本体であり絶対の真理である大日如来です。教理としては、以下4つがあります。
教学としては、大日経の教学と金剛頂経の教学、そして2つのお経で説かれる教えが根本所依となっています。真言宗の葬儀では、真理を学び続けた先に、ようやく救いの道が開けると考えのもとで、他の宗教の葬儀とは考え方が異なります。
故人を大日如来の支配する密厳浄土に送り届けるための儀式として考え、故人を密厳浄土に送り届ける目的で、今世で身についた悪い考えや習慣などを葬儀により浄化し、仏様の加護を得るため供養します。また、灌頂と土砂加持などの儀式がある点も特徴的です。
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時宗とは、鎌倉時代末期に興った浄土教の一宗派の日本仏教となります。開祖は一遍であり、鎌倉仏教のひとつとして有名です。総本山は神奈川県藤沢市の清浄光寺となっています。他宗派と同じく、宗の字を用いるようになったのは江戸時代以後となります。
開祖とされる一遍には、新たな宗派を立宗しようという意図がなく、その教団や成員も時衆と呼ばれていました。過去の資料からも、室町時代までに関しては時衆の名称を用いているケースが多いです。
時衆とは、善導の観経疏の一節である「道俗時衆等、各發無上心」が由来となっており、一日を6分割して不断念仏する集団を指します。古代以来は、顕密寺院にいたとされており、時宗と呼称されるようになったのは1633年の「時宗藤沢遊行末寺帳」が事実上の初見です。
一遍が布教していた同じ時期において、全く別個に一向俊聖も同じような思想を持って布教されていました。浄土教では、阿弥陀仏への信仰が教説の中心となっています。融通念仏では、1人の念仏が万人の念仏と融合する大念仏に従って、浄土宗においては信心の表れとして念仏を唱える努力を重視されていました。
念仏を唱えれば唱えるほど、極楽浄土への往生も可能になると説いていました。時宗では、阿弥陀仏への信・不信は問うことなく、念仏さえ唱えれば往生できると説いたのです。仏の本願力は絶対であるため、それが信じない者にまで及ぶという解釈をした形です。
時宗の語源には、「日常を臨命終「時」と心得て、常に念仏を唱える故に「時」宗といわれる」とする説もあります。時宗の葬儀は浄土宗に従うことが多く、流れも同じ場合が多いです。浄土宗の葬儀は序分、正宗分、流通分の3部構成になっており、式次第は葬儀の内容やお寺によって異なります。
自筆証書遺言とは、財産目録を除くすべての文字を自筆で書き上げる遺言書のことを指します。民法第968条において定められたものとなり、当然法的効力がある文書となります。自筆証書遺言の場合、ほかの遺言に比べて費用も手間もかからないメリットがあり、気軽に作成可能です。
高齢の方の場合、自分で字を書くことが難しいケースがありますが、自筆証書遺言では代筆は認められません。必ず、自分自身の字で書く必要があり、もし自分以外の人が代理で記入している場合は、遺言書自体が無効となるため注意が必要です。
これは、民法にも事細かく規定されています。
民法第968条(自筆証書遺言)
1.自筆証書によって遺言をするには、遺言者が、その全文、日付及び氏名を自書し、これに印を押さなければならない。
2.前項の規定にかかわらず、自筆証書にこれと一体のものとして相続財産の全文又は一部の目録を添付する場合には、その目録については、自書することを要しない。この場合において、遺言者は、その目録の毎葉(自書によらない記載がその両面にある場合にあっては、その両面)に署名し、印を押さなければならない。
3.自筆証書(前項の目録を含む。)中の加除その他の変更は、遺言者が、その場所を指示し、これを変更した旨を付記して特にこれに署名し、かつ、その変更の場所に印を押さなければ、その効力を生じない。
自筆証書遺言が成立するための5つの要件は、以下のとおりです。
なお、自筆証書遺言の場合は相続開始した後に家庭裁判所の検認が必要となります。また、意思能力で争いになるケースもあるので注意が必要です。
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十三回忌とは、仏教の伝統,に従って執りおこなう法要のことです。具体的には、故人が亡くなられた年から数えて、満十二年目の命日に取りおこなわれます。なお、三回忌以降は満年齢ではなく数え年で数える点に注意が必要です。
十三のタイミングで法要をおこなう意味としては、法事自体が故人が亡くなられてから以下のタイミングで、三と七に関連する周期で法要をおこなうためです。
仏教では、3と7には迷いを離れる道を歩むという思いがあります。亡くなられた大切な人を偲びつつ、自分の心や身の回りを見つめ直す機会として十三回忌を執りおこなうのが一般的です。十三回忌では、通常の年忌と同じような形で執りおこないますが、規模は小さめとする場合が多いです。
また、回忌法要と概ね同じ手順で執りおこなわれ、十三回忌といっても特別な事はおこないません。僧侶が入場したら読経してもらい、その後故人と関係が深い人から順に焼香をおこないます。そして、僧侶による法話を聞いて僧侶が退場して終了、その後会食する流れとなります。
ほかの回忌法要と同じように、十三回忌でも菩提寺にお布施を渡しますが、お布施の相場は1万円から5万円程度となります。
数珠とは、穴が貫通した多くの小さい珠に対して、糸を通し輪にした法具となります。珠の数は108珠が基本となりますが、各宗派の本式数珠以外では数に決まりはありません。仏を念ずる時に用いる珠との意味より、念珠と呼ばれる場合もあります。また、字の前後を入れ替えて珠数と呼称するケースもあります。
数珠は、仏や菩薩を礼拝する場合に手にかけ使用します。真言や念仏の回数を数えるのに珠を爪繰ったり、摺り鳴らして使用するケースもあります。浄土真宗では、念仏の回数は不問であるため爪繰りません。また、摺り鳴らすこともなく、仏前での崇敬の念の表れという意味で使用します。
数珠の起源には諸説ありますが、古代インドのバラモン教で使用されていた道具を原型とする説が有力です。それが、釈尊により使用されるようになって、後に中国に伝達されました。そして、仏教の伝来に合わせて飛鳥時代には日本にも伝わったとされています。
鎌倉時代に入ると、浄土教が流行して称名念仏が盛んになり、広く一般にも普及したのです。最近では、腕輪念珠と呼ばれる数珠を小型化し中糸をゴムなどにして腕に付けることができる、アクセサリーが流行しています。数珠は数を数えるという観点で言えば数取器でもあって、歩測に用いれば測量器具ともなります。
数珠を繋ぐ紐が切れると悪因縁が切れた現れといわれています。ただし、現在では素材が良質になったことで紐は切れにくくなっています。
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樹木葬とは、樹林墓地とも呼ばれる場合があり、自然志向の新しいお墓のスタイルのことを指します。遺骨を埋葬した箇所には通常墓石が設置されますが、墓石ではなく樹木や花を墓標とするお墓を作ります。
通常、墓地の場合は殺風景になりがちですが、樹木葬の場合は明るさや美しさを出すことができ、循環を意識した作りを実現できるのが特徴です。樹木葬の場合、基本的には継承を必要としない永代供養となり、一般的なお墓と比較して安価な費用で利用できるメリットがあります。
なお、樹木葬は大きく以下のようなジャンルで分類できます。
それぞれにメリットとデメリットがあり、故人の意向にも配慮しつつ最適な樹木葬をおこなってください。
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寿陵とは、生前に自分の墓を建てることを指します。通常、お墓を建てるタイミングとして自分が亡くなった後に、遺族などが建てることになりますが、必ず死後にこだわり必要がありません。自身が生きている間に、自身の手配でお墓を立てることができるのです。
寿陵は、古くは中国でおこなわれていました。中国において、生前にお墓を建てることは縁起が良いことされており、古くから親しまれてきました。中国では、寿陵ではなく寿蔵や寿堂と呼ばれるケースもあって、日本では古墳も寿陵のひとつとされています。
日本において、聖徳太子や昭和天皇なども寿陵をおこなった人物として知られています。生前にお墓を用意して、冥福を祈る行為のことを逆修と言いますが、仏教では非常に徳の高いことと言われており、幸福を招くと考えられていたのです。
よって、寿陵は長寿・子孫繁栄・家庭円満を授かることができる、非常に縁起の良いことになります。寿陵をおこなうことで、自分が希望するお墓を選定できるメリットがあります。また、祭祀財産となるので遺産相続の際に課税対象外となるメリットもあるのです。
ただし、建てたい墓地や霊園で寿陵が可能かどうかはよくチェックしておく必要があります。
浄衣とは、日本における衣装であり、神事や祭祀、法会など宗教的な儀式において着用されるものです。ただし、仏教や神道のみに限定されないケースもあります。浄衣には、「清浄な衣服」という広い意味で言えば、四国八十八箇所巡礼の参加者の正装である白衣や笈摺なども含めるケースも多いです。
神道における神職の浄衣で使用される素材は、主に白布や生絹となり、以下で構成されます。
仏教の僧侶の場合は、袈裟が、浄衣に該当しますが、施された衣服という定義もあると言われています。これは、自ら耕作して衣料製作することは律によって禁じられており、そのような罪にあたらず浄いという意味があります。
畢竟や白、黄等正色は浄とされており、壊色と言われている濁色は不浄という意味と解釈されます。なお、浄衣は運転時に支障をきたす可能性がある衣服に該当するとして、福井県で僧衣を身に付けて自動車を運転した僧侶が検挙された事例があるため、注意が必要です。
浄土宗とは、大乗仏教の宗旨のひとつに数えられている宗派です。浄土宗は浄土信仰に基づいて日本仏教の宗旨となり、法然を宗祖としています。鎌倉仏教のひとつであり、本尊は阿弥陀如来です。また、教義は専修念仏を中心としており、浄土専念宗と呼称されるケースもあります。
浄土宗の歴史を紐解くと、1175年に法然が43歳の時に善導撰述の「観無量寿経疏」により専修念仏の道に進みみました。そして、叡山を下って東山吉水の吉水草庵に住み続け、念仏の教えを広めたとされています。この年が、浄土宗の立教開宗の年とされているのです。
「観経疏」にある立教に至らしめた文言としては、以下が有名です。
「一心専念弥陀名号 行住坐臥不問時節久近 念念不捨者是名正定之業 順彼佛願故」
以上を称名念仏と呼び、阿弥陀佛の選択により選び取られた本願の行と解されています。浄土宗における念仏は、「南無阿弥陀仏」を示すこの善導の文言から始まったのです。法然撰述の「選択本願念仏集」が、浄土宗の根本聖典とされており教義の集大成という位置付けとなっています。
浄土宗における戒名は、鎮西派では誉号が、西山派では空号が付与される特徴があり、戒名の最初に梵字が入るケースも見られます。誉号については、五重相伝を終えた人に対して、院号については寺院や社会貢献の度合いが高い人に対して付与されます。居士や大姉、信士、信女などが位号となり、禅定門、禅定尼などの位号も使用されます。
浄土宗における葬儀では、序分、正宗文、流通分に授戒と引導を合わせた形で執りおこなわれ、仏を迎えて供養し、送るという三部構成となっています。また、焼香は仏、法、僧の三宝へ三回おこなう点も特徴的です。
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浄土真宗本願寺派とは、浄土真宗における宗派の1つです。宗教法人法による宗教法人となっており、宗祖親鸞の墓所となっている大谷廟堂を発祥とする本願寺を本山としています。浄土真宗本願寺派には、本派やお西などの通称が存在します。
被包括宗教団体数は1万を超えており、信者数は800万人近くいるとされており、浄土真宗の各宗派の中でも最多であり、仏教系の宗教法人としてみても最多となっています。さらに、宗教法人全体としても神社本庁に次ぐ多さを誇ります。
浄土真宗本願寺派では、明治時代初期の段階で西欧の三権分立を真似て、立法・行政による施策決定システムを構築しました。現在においても、「浄土真宗本願寺派宗法」に従って以下の組織が存在します。
浄土真宗本願寺派の葬儀には特徴があり、基本的な考え方として葬儀は故人への供養を目的として執りおこなうわけではいとされています。これは、阿弥陀如来の救いを信じることで極楽浄土に行けると考えられているためです。よって、故人の供養は不要となり、葬儀では阿弥陀如来に感謝の意を表すための勤行という形で執りおこなわれます。
また、一般的な仏式葬儀と違い、以下のような行動もとりません。
さらに、告別式という言葉は使用せず、使用する仏具や作法、そして供え物のそなえ方も異なります。
浄土真宗東本願寺派とは、浄土真宗の一派のことです。真宗大谷派から離反した寺の末寺や崇敬寺院で構成されています。浄土真宗東本願寺派の本山は、東京西浅草の浄土真宗東本願寺派本山東本願寺となります。宗門は法主が統率しており、2020年現在では第二十六世の大谷光見氏が法主となっています。
浄土真宗東本願寺派は、宗教法人法で規定されている包括宗教法人という位置付けではなく、単立宗教法人の寺院による任意団体となります。よって、宗派と末寺・崇敬寺院の間で、法的な包括関係は存在しません。浄土真宗東本願寺派の歴史を紐解くと、1969年に京都の東本願寺を本山と真宗大谷派内部で、宗派の運営方針などによって保革が対立して、紛争が発生しました。
第二十四代法主である大谷光暢氏は改革派の動きに反対して、1978年に本願寺の法統を守ることを目的として、真宗大谷派との包括関係を解消して京都の東本願寺の独立を進めると宣言したのです。同時に、全国の別院や末寺に対して真宗大谷派からの独立を呼びかけました。さらに、大谷光紹氏が住職を務めていた真宗大谷派東京別院東京本願寺の独立を進めて1981年6月15日に認証されました。
浄土真宗東本願寺派における葬儀の場合、数珠の形態は一連と二連の2種類が基本となります。また、焼香の際にはお香を2回入れる特徴があります。