お葬式では聞きなれない言葉をよく耳にします。
葬儀用語を五十音順でまとめていますので、ぜひご利用ください。
忌明けとは、「きあけ」または「いみあけ」と呼びます。遺族が故人のご冥福を祈り、喪に服す忌服の期間を終えることを指します。故人が亡くなった後49日間を忌中と呼びますが、最終日の49日目が忌明けのタイミングとなります。
忌中は故人が冥土の世界を旅している期間とされており、閻魔様からの判決を待っている状態です。古くは、忌中の間は遺族は一切のお祝い事を慎み、喪服を着用して外出も控えていました。また、神社仏閣へのお参りもしてはならないとされていますが、忌明けのタイミングから遺族は通常の生活に戻る形となります。
しかし、現代社会では忌中の間にお祝い事を避ける程度の対応しかとらない場合が多くなっています。忌中に厳しい決まりが発生した理由としては、死因が分からなかった時代に、疫病対策であったという説が有力です。また、忌明けによって以下のような行動をおこないます。
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北枕とは、頭を北へ向け、足を南へ向けて寝ることを指します。仏教の祖である釈迦は、入滅の際に北の方角へ頭を向けて横になった頭北面西と言われることが北枕の由来となっています。これは、仏教が将来、北方で久住するという考えによって頭北が生まれたものであると言われていますが、北伝の大乗仏教のみで後代による解釈でしかない状態です。
日本においては、釈迦の故事によって死を忌むことから、北枕は縁起が悪いこととされています。これにより、死者の極楽往生を願って遺体を安置する際のみ許されていました。過去には、中国でも北枕の風習があったとされていますが、仏教とは関係なく食中毒などで急死した際に、北枕に寝かせることで生き返ることがあったためとされています。
北枕が好ましくない理由としては、ほかにも昔の日本の住居は気密性が低いため、隙間風が入り込むため北に枕を向けて睡眠すると頭から身体が冷えるというものもあります。一方で、風水の観点で言えば金運が上昇したり頭寒足熱によって健康運がアップするとも言われています。
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忌中とは、故人の命日から四十九日法要を迎える、49日間のことを指します。四十九日法要を終えた後のことを忌明けと呼ぶ形となりますが、この忌明けを迎えるまでの間が忌中となります。仏教において、人は死を迎えた後に冥土とよばれる薄暗い世界を、49日間旅すると言われています。また、49日目に閻魔大王より下される来世の判決を待っている状態です。
閻魔大王より判決を下されるまでの間は、来世が決まっていない状態となり、「汚れたもの」として考えられています。さらに、この汚れについては伝染して次の死者を出すと考えられているのです。よって、来世が決定する49日までの間については、遺族や親族はその汚れを伝染させてはならないとされています。
具体的には、喪服を身につけて外出を控えるべきという考えが、本来の忌中の在り方とされてきました。ただし、現在社会においてはその意味合いは薄れており、忌中にお祝い事を控えるなどの風習だけが守られています。また、酒席などの参加もなるべく避けるべきでしょう。
ほかにも、神様に死の穢れを近づけないために神棚にお札や半紙を貼るなどの対応を図ります。
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忌中札または忌中紙とは、身内が亡くなった際に玄関に貼り出す紙のことを指します。古くは、死は穢れと考えられており、死の穢れを他の人に伝染させないようにすることが大切と考えられていました。そこで、身内な亡くなった場合に人と接触することを避ける目的で、玄関に「忌中」と記載した忌中札を掲示する形が取られていました。
忌中札や忌中紙は、あくまでも忌中であることを周囲に通知するためのものであり、一般的には掲示する期間は故人が亡くなった後四十九日までとなります。以前は忌中札や忌中紙は頻繁に目にしましたが、近年では以下の理由で掲示する機会が少なくなりました。
忌中札や忌中紙は、亡くなられた後すぐに掲示するのが一般的です。記載する内容としては、黒枠の中に「忌中」と記載し、以下の内容を記載します。
なお、故人の名前は表記しないことが通例となっており、葬儀社が用意してもらう形が一般的です。
危篤とは、病気や怪我などが悪化した状態で意識がなくなって、いつ亡くなられてもおかしくない状態のことです。危篤になっても意識を取り戻す場合もありますが、基本的には回復が見込めない状況となります。危篤と医師に宣告された場合でも、危篤の状態が続く時間には個人差があり、はっきりとした余命は分かりません。危篤と宣告されて数時間で亡くなる場合もあれば、10日以上継続する場合もあります。
危篤と似た言葉として重篤がありますが、重篤とは症状の度合いを指す言葉です。重篤とは、厚生労働省では、重篤とは「命の危険が切迫しているもので心呼吸の停止、または、停止の恐れがある症状、心肺蘇生を行ったもの」と定義付けており、危篤と比較して回複する見込みはある状態となります。
危篤状態では、いつ亡くなられてもおかしくない状態であるため、宣告された場合は親族などが手分けして、関係者に連絡してください。患者が生きている間に面会できる最後の機会となるため、深夜や早朝などでも連絡するのが一般的となっています。もし危篤と宣告されて慌てないように、事前に準備を進めておくことも重要です。
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危篤時遺言とは、危篤状態において残される遺言のことです。危篤とは、病気や怪我などが悪化した状態で意識がなくなり、いつ亡くなられてもおかしくない状態です。このような状態でも、一定の条件を満たすことによって遺言として認められる場合があります。
危篤時遺言を認めてもらう場合、証人3人以上の立会いが必要です。また、遺言者が証人の1人に遺言の趣旨を口授して、口授を受けた証人が筆記しなければなりません。さらに、筆記した書類について、遺言者や他の証人に読み聞かせて、閲覧させる必要があります。そして、各証人が筆記の正確性を確認し、書類に署名・押印しなければなりません。
ほかにも、緊急性の高い遺言方法である関係上、遺言を残された日から20日以内に家庭裁判所に請求して、遺言として確認してもらう必要があります。遺言書を作成する際に、適切に作成しなければ法的効力を持たないものとなってしまいますが、危篤時遺言も厳しい条件が設定されている形です。
また、遺言者が危篤状態から回復して、通常の形式で遺言できるようなった後6か月間生存している場合、危急時遺言は失効します。
記念の集いとは、キリスト教のプロテスタントにおける法要のことを指します。具体的には、没後7日目や10日目、1ヵ月後の月命日、そして毎年亡くなった日に執り行う形となります。ただし、1ヵ月後の月命日以降に特に決まりはなく、毎年ではなく1年目、3年目、7年目などに記念式をおこなう場合も多いです。
記念の集いでは、故人の遺影や花を祭壇に飾って、故人を偲ぶ会を執り行うこととなります。また、記念の集いでは牧師を呼んだ上で、故人を思いながら説教をしてもらう形式で進める場合が多いです。なお、同じキリスト教であってもカトリックの場合は、記念の集いではなく追悼ミサという会を執り行います。
記念の集いを執り行う亡くなった人同じ月日のことを、昇天記念日と呼ぶ場合があります。
経帷子とは、故人が霊界に旅立つタイミングで着用する衣装のことを指します。一般的に、故人が身に付けるものとして死装束が広く知られていますが、基本的に死装束そのものです。ただし、死装束はあくまでも俗称となるため、葬儀の場には適していない言葉であり、経帷子という言葉を使用します。
経帷子の帷子とは、単で仕立てられている、裏地のない着物のことを指します。帷子に故人の極楽浄土を願う意味を持たせるために経文が書かれることがあり、経帷子と呼ばれるようになったのです。経帷子には、以下のような特徴もあります。
経帷子には、以下の着衣が含まれています。
ただし、最近では愛用していた洋服や着物を、そのまま死装束として着用する場合も多くなっています。また、既製品の経帷子を着せる場合も増えていますが、経帷子を着せる時に衿が左前にくるように着用させてください。
一般的に、着物や浴衣は右前となりますが、現世とあの世は逆という考え方があり、衿も逆さまにする習わしとなっています。
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供花(きょうか・くげ)とは、通夜や告別式などの葬儀の場において故人に供える花のことを言います。葬儀などにおいては、故人に対してお別れの気持ちであったりご冥福を祈る気持ちであったりを伝える意味で、弔意として贈るのが一般的です。また、供花には葬儀会場や祭壇を華やかにするという役割も果たしています。
通常、供花には贈った方の氏名や会社名を書いた札を立てるのが一般的です。ほかにも、供花に直接札を立てないで別に芳名板に名前を並べる形式を採用している場合もあります。葬儀に参列できない場合は、弔電や香典の代わりとしても供花を贈るケースも多いです。
供花については、一つを1基と数え、2基合わせて一対で贈って、祭壇の両側に飾る場合が多いです。もし、遺族から香典を辞退する旨の申し出がある場合は、代わりに供花を贈るケースも多く見られます。供花には、主に以下2つの種類があります。
供花と似たものとして枕花と花輪がありますが、それぞれに役割が異なるため、贈る際には注意が必要です。
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享年とは、死亡時の年齢を表す漢語です。人が天から享けた年数という意味があり、この世に存在した年数を示します。行年(ぎょうねん)と呼ぶ場合もあり、娑婆で修行した年数や行の年数という意味があります。故人のお墓などに享年を刻むことが多いですが、その理由として日本において長寿をお祝いする風習があることに起因していると言われています。
長寿であることは良いという考えのものとで故人が生まれて天寿を全うするまでの年数を、お墓などに刻むようになったとされています。享年と行年の使い分けには、厳密なルールはありません。享年の方が良いとする場合もあれば、墓石などに刻む画数が少なく見やすいという理由から行年を選ぶケースもあります。
代々続くお墓に納骨する場合、先祖と書き方を統一する方法がおすすめです。
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清め塩とは、日本の伝統的な信仰や習慣に基づき、一般的には塩を使用して邪気や不浄を払うことを意味します。これは主に神道における祓いの一部としておこなうことが多いですが、日本の日常生活の中でも広く使用されています。
神社の参拝では、神社の入口近くにある手水舎(で手と口を清めた後、神社の境内に進む前に、小さな塩壷から塩を振りかけますが、これは、自分自身の穢れを取り除くための行為です。飲食店では、入り口には小さな皿に塩が盛られて置かれていますが、これは邪気を払うため、そして商売繁盛を祈願しておこなっています。
ほかにも、新しく家を建てたり、引っ越したりした場合に、邪気を払って新たな生活を良い状態で送る目的で清め塩を使用します。なお、清め塩は調味料として使用する塩ではなく、特別に神社などで祝福されたものを指す場合があり、特定の儀式や祭りで使用されることが多いです。
近年では、特に都心部において葬儀の際に会葬御礼の挨拶状と合わせて小さな袋に詰めた清め塩が配られることが多いです。また、大きな葬儀においては出口に塩が敷き詰められた一角が用意されており、会葬を終えた人々が塩を踏んで外に出る形が取られることもあります。
なお、清め塩は広く普及していますが、浄土真宗では死を不浄とする考えがあり、清め塩は単なる迷信であると考えられています。
金仏壇とは、主に日本の仏教文化の中で使用されている、家庭内で仏教の祭祀を行うための仏壇の一種となります。その名のとおり、金色や金箔が施された豪華な装飾が特徴です。仏壇とは、亡くなられた方の霊を祀って、供養するための場所となります。
日本では、各家庭が仏壇を持つことが一般的ですが、その形状や装飾は地域や宗派によって異なります。金仏壇は、特に中部地方の岐阜県でよく見られるスタイルとなり、製作には高度な技術と芸術性を要します。金仏壇の特徴としては金色の装飾が挙げられますが、多くの場合は本物の金箔が用いられており、その煌びやかさは仏教の理想世界である浄土を象徴していると言われています。
また、金仏壇には細かい彫刻が施されることが多いですがこれは仏教の教えや伝説を描いたものであり、芸術的価値も高いです。ほかにも、金仏壇には供養のための以下の仏具が置かれます。
江戸時代からの歴史を持つ金仏壇は、産地は全国各地に存在します。経済産業大臣より伝統工芸品として指定を受けている産地としては、以下があります。
浄土真宗の家に金仏壇が設置されることが多いため金仏壇は浄土真宗用だと考えられがちですが、金仏壇は他の宗派でも使用することが多いです。