父が83歳で静かに息を引き取りました。大竹市新町で生まれ育った父は、長年地元の工場で働き、大竹の工業発展を支えてきました。「この町の煙突から上がる煙を見ながら育ち、働いてきた。大竹で死ねれば本望だ」と、父は晩年よく話していました。
父が亡くなったのは、夏の夕暮れ時でした。窓からは大竹の工場群が見え、夕日に照らされた煙突が美しく輝いていました。私たち家族は、父が愛したこの大竹の家で葬儀を行うことを決めました。しかし、大竹市には提携の葬儀場がなく、自宅葬をどのように進めればいいのか分かりませんでした。
父の工場仲間から日本終活セレモニーを紹介していただき、すぐに連絡を取りました。担当者の方は「大竹市での葬儀も対応しております。工業の町で働いてこられたお父様の葬儀、心を込めてお手伝いします」と言ってくださり、その日のうちに新町まで来てくださいました。
訪問時、スタッフの方は父が大切にしていた工場の写真や、勤続表彰の盾などを見て、「お父様の誇りを感じます。これらを祭壇に飾りましょう」と提案してくださいました。また、父が撮影した大竹の工場の夜景写真なども配置することになり、父らしい祭壇が完成しました。
準備段階では、父が使っていた工具や、作業服なども展示スペースに飾る提案をいただきました。大竹の工業の歴史を示す資料なども配置し、父の人生が大竹の発展と共にあったことを表現する空間を作ってくださいました。
葬儀当日は、家族と父の工場仲間たちが集まりました。「お父さんは本当に仕事熱心で、若い者の面倒もよく見てくれた」と、かつての同僚たちが口々に父を偲んでくださいました。読経の間、窓の外では工場の音が聞こえ、父が長年慣れ親しんだ大竹の日常の音が響きました。
スタッフの方々は、父の工場勤務の人生を理解し、細やかな配慮をしてくださいました。火葬場への移動の際は、父が毎日通勤していた道を選び、工場の前を通りながらの最後の旅となりました。工場の方々が外に出て、父を見送ってくださった光景は、今でも忘れられません。
火葬後は、自宅に戻り、工場仲間たちと父を偲ぶ会を持ちました。父の仕事ぶりや、大竹の工業の発展についての話に花が咲き、温かい雰囲気の中で父を送ることができました。工業の町・大竹で働き続けた父を、その町で送ることができたことに、家族一同深く感謝しています。日本終活セレモニーのスタッフの心配りがなければ、実現できませんでした。




