三次市十日市・霧の町の商店街で育った母を偲ぶ家族葬(自宅葬)

母が80歳で静かに息を引き取りました。三次市十日市の商店街で小さな雑貨店を営んできた母は、「この町の人たちに支えられて生きてきた。最期もこの家がいい」と常々話していました。三次盆地特有の朝霧の中で、母は毎朝店を開け、地域の人たちと温かい交流を続けてきました。

母が亡くなったのは、晩秋の朝でした。いつものように霧が立ち込める中、母は静かに旅立ちました。私たち家族は、母が愛したこの家で葬儀を行うことを決めました。しかし、三次市には提携の葬儀場がなく、商店街という立地で自宅葬ができるのか不安がありました。

商店街の仲間から日本終活セレモニーを紹介していただき、すぐに連絡を取りました。担当者の方は「商店街での葬儀も対応しております。お母様が大切にされた地域との繋がりを大切にした葬儀を実現します」と言ってくださり、その日のうちに十日市まで来てくださいました。

訪問時、スタッフの方は母が長年営んできた雑貨店を見て、「お母様の人生が詰まったお店ですね。この雰囲気を葬儀にも取り入れましょう」と提案してくださいました。母が大切にしていた商品や、常連客からのお礼の手紙なども祭壇周りに飾ることになりました。

準備段階では、商店街という立地を考慮し、近隣の店舗への配慮や、参列者の動線確保なども細かく計画してくださいました。また、母が撮影した三次の霧の写真や、商店街の昔の写真なども飾り、母の人生を表現する空間を作ってくださいました。

葬儀当日は、家族と商店街の仲間たち、そして母の店の常連客が多く集まりました。「いつもありがとうって言ってくれる優しい人だった」「この商店街の母のような存在だった」と、皆が口々に母を偲んでくださいました。読経の間、外から聞こえる商店街の音が、母が長年慣れ親しんだ日常の音として響きました。

スタッフの方々は、商店街という特殊な環境でも、全てをスムーズに進行してくださいました。車両の駐車場確保や、近隣店舗への挨拶なども丁寧に行ってくださり、地域に配慮した葬儀となりました。火葬場への移動の際は、母が毎日通った市場の前を通り、母が愛した三次の町を最後に見ながらの旅立ちとなりました。

火葬後は、自宅に戻り、商店街の仲間たちと母を偲ぶ会を持ちました。母が作っていた料理のレシピや、商売の話に花が咲き、温かい雰囲気の中で母を送ることができました。三次の商店街で生き、地域の人たちに愛された母を、その場所で送ることができたことに、家族一同深く感謝しています。日本終活セレモニーのスタッフの柔軟な対応がなければ、実現できませんでした。

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