父は牡蠣の養殖の研究者でした。海の養殖場にいることが多く、私が子供の頃は宇品まで広電で行き、一緒に船に乗せてもらったりしていました。人付き合いが上手ではなく、研究さえしていればいいという人でしたので、葬儀もごく内輪で行いました。
病院から勧められた葬儀社を断って日本終活セレモニーにしたのは、私の上司の葬儀が日本終活セレモニーで、細かい点にまで気がつく葬儀だったからです。
担当の五十嵐さんは、葬儀ディレクターの資格をお持ちで経験も豊富でしたので、いろんな無理を言いましたが、どれも叶えてくださいました。ありがとうございました。