多くのご家族様にご満足いただいています
広島葬儀の日本終活セレモニーでは、葬儀の品質を高め、ご家族様のお気持ちに寄り添うより良い葬儀のために、
ご葬儀を執り行わさせていただいたご家族様にアンケートをお願いしております。
ご葬儀は、家族様ごとにひとつづつ形が異なっており、日本終活セレモニーはそれぞれのご家族様のお気持ちを感じながら
葬儀を行いたいと考えております。
数年前、母が「生前予約をしたい」と言いました。母の親しい友人から日本終活セレモニーさんの生前予約がよかったと聞き、自分も今のうちに決めたいと思ったようです。母と一緒に日本終活セレモニーさんに伺い、スタッフの佐藤さんにお話を伺いました。
生前予約は、葬儀を急かす印象があり、気が進みませんでした。しかし佐藤さんの丁寧な説明のおかげで、帰り道で母に「いろいろ決めておこうね」と話したのを覚えています。
先月の母の葬儀は、予定通りスムーズに進み、家族もゆっくりとお別れできた良い式でした。生前予約を日本終活セレモニーさんにしておいてよかったです。
父は牡蠣の養殖の研究者でした。海の養殖場にいることが多く、私が子供の頃は宇品まで広電で行き、一緒に船に乗せてもらったりしていました。人付き合いが上手ではなく、研究さえしていればいいという人でしたので、葬儀もごく内輪で行いました。
病院から勧められた葬儀社を断って日本終活セレモニーにしたのは、私の上司の葬儀が日本終活セレモニーで、細かい点にまで気がつく葬儀だったからです。
担当の五十嵐さんは、葬儀ディレクターの資格をお持ちで経験も豊富でしたので、いろんな無理を言いましたが、どれも叶えてくださいました。ありがとうございました。
87歳になる父を中心に3世代16人が近所に住んでおり、しょっちゅういずれかの兄弟の家で食事会をする仲のいい家族でした。それもこの父がいたからこそ。父が亡くなって、どんな式にするか?というときも皆で集まって考え、「自分たち家族だけで、いつもの食事会のような葬儀がしたい」となりました。
じつは母のときも日本終活セレモニーさんでお願いしており、その気持ちの良い対応を父も気に入っており、今回もお願いした次第です。日本終活セレモニーの○○さんは、二つ返事で受けてくださり、印象深い葬儀となりました。ありがとうございました。
父は現役時代山口県で教員でしたが、退職後は私たち家族と広島市内で二世帯住宅に住んでいました。亡くなった時日本終活セレモニーさんに葬儀の相談に行きました。山口県から高齢の教員仲間が葬儀に来ると話したところ、「会葬者の皆さんの体力的に二日間のご葬儀が難しければ一日葬がある」と提案いただきました。どんな式にするのか悩んでいた時でしたので、とてもありがたかったです。
当日は、葬儀も滞りなく進み、教員仲間の皆さんにも多数ご参列いただき、「日帰りで楽だ」と言っていただきました。
父は戦後すぐに広島市内でそば屋を開業してきました。息子の私は15年前から店を手伝ってきました。70歳になっても引退しない父を頼りにしていたのですが、突然店で倒れ、帰らぬ人となりました。常連の皆さんから「店で葬儀を」と話があったことを日本終活セレモニーさんに相談したら、「ホールに暖簾を掛けて、みなさんにくぐっていただきましょう」という名案をいただき、実現しました。
暖簾が一枚あるだけでホールが実家のそば屋になり、家族はもちろん、常連の皆さんにも喜んでいただきました。父も喜んでいたと思います。ありがとうございました。
70歳を過ぎても和太鼓を叩いていた父が、あっけなく亡くなってしまい、家族はみな呆然としていました。そこに和太鼓仲間の皆さんが駆けつけてくれ、その一人が日本終活セレモニーさんで葬儀をしたことがあるといい一緒に相談に伺いました。
和太鼓仲間は「葬儀で太鼓叩いて見送りたいけど駄目だよね」と呟いたのを日本終活セレモニーさんは「やってみます」とおっしゃり、ほんとうに実現しました。大きな音が出るので、日本終活セレモニーさんは調整に大変だったことと思います。
葬儀は生前の父に似て明るく、家族も和太鼓仲間も大変満足いたしました。ありがとうございました。
母は、10年前に行ったスペイン旅行でのフラメンコが忘れられず、帰国後からフラメンコ教室に通い始めました。今回の葬儀では、お手伝いいただいたフラメンコ教室のご友人から葬儀でもフラメンコっぽいところを出したいとご提案いただいたものの、具体的にどうしたらいいのかわからず日本終活セレモニーさんに相談に行きました。
担当の大川さんから「フラメンコで使う扇子に皆さんで寄せ書きをしてもらったら」というアイディアをいただき、やらせていただきました。梶山さんはとてもアイディアマンで、たいへん頼りになりました。ありがとうございました。
父は牡蠣の養殖の研究者でした。海の養殖場にいることが多く、私が子供の頃は宇品まで広電で行き、一緒に船に乗せてもらったりしていました。人付き合いが上手ではなく、研究さえしていればいいという人でしたので、葬儀もごく内輪で行いました。
病院から勧められた葬儀社を断って日本終活セレモニーにしたのは、私の上司の葬儀が日本終活セレモニーで、細かい点にまで気がつく葬儀だったからです。
担当の五十嵐さんは、葬儀ディレクターの資格をお持ちで経験も豊富でしたので、いろんな無理を言いましたが、どれも叶えてくださいました。ありがとうございました。
管理栄養士の母は、広島市内の小学校で給食を作る仕事をしておりました。私たちは鹿児島県の奄美大島で生活があり、母は広島で一人暮らしでした。島の人達は奄美大島でちゃんと葬儀がしたいとの意見が強く、広島では火葬だけにし、島に戻ってくるつもりでした。
しかし、広島で給食を作っていた会社のみなさんからもお別れがしたいとおっしゃっていただき、ただ火葬するだけでなくお坊さんを呼んでいただけるか日本終活セレモニーさんに相談させていただきました。担当の白石さんに、快く引き受けていただき、滞りなく火葬をさせていただきました。
夫は、広島に単身赴任中病気で亡くなりました。短期の入院だと考えていたのですが、様態が急変しました。実家のある石川県の親族が、地元での葬儀を準備していましたので、広島でどうしたらいいか、日本終活セレモニーさんに相談しました。
私は気が動転していたのですが、日本終活セレモニーさんで経験豊富な大川さんが、「直葬という方法があります」と教えてくださり、大変安堵しました。
直葬はシンプルな葬儀でしたが、夫も私達家族もしっかりと広島とお別れができたと思います。石川では親族に、広島では日本終活セレモニーさんに大変お世話になりました。ありがとうございました。
7歳の娘の葬儀をお願いしました。先天性の病気があり、いざ亡くなるとなると何も考えられずにいました。夫とは、以前からこうなったら夫婦だけでお見送りをしてあげようと決めていました。
同じ病気持ちのお母さんから日本終活セレモニーさんの評判を聞いており、生前から相談に伺っていました。日本終活セレモニーさんは、とても親身に考えてくださり、直葬で行うことは決まっていました。
おかげで当日はゆっくりと娘とお別れすることができました。日本終活セレモニーの佐藤さんは、葬儀がひと通り終わると自分のことのようにお泣きくださり、本当に日本終活セレモニーで葬儀をしてよかったと思いました。
私は、家庭の事情があり、祖父と二人暮らしでした。老後も活動的だった祖父ですが、足を骨折してから家からでなくなり、身体が弱り亡くなりました。私は高校時代から祖父の介護を続けていたこともあり、思うように就職もできず、祖父の死を迎えました。
私は葬儀に参列したこともなく途方に暮れていたのですが、病院から日本終活セレモニーさんを紹介していただき、相談しました。予算も少なかったことから、直葬となりました。日本終活セレモニーの田所さんは、私の事情を理解していただき、まるで親戚の人のように考えてくれました。感謝の気持ちでいっぱいです。